さまざまな産業において始まりつつある、IoT化、AI(人工知能)活用。
移送・搬送の現場への影響や技術トレンドについて、電子・機械系雑誌のジャーナリストであるエンライト代表:伊藤元昭氏がわかりやすく解説します。
コロナ禍に端を発した世界的な半導体不足や米中対立での貿易規制、ウクライナ危機による原材料・エネルギーの調達不安など、近年、製造業の生産活動に深刻な影響を及ぼす非常事態が続発しています。地震・台風などの自然災害も含めると、非常事態が常態化しているかのような状況です(図1)。
製造業各社は、突発的な非常事態が発生しても工場を安定操業できるように、とりわけ部品・材料、装置や設備の保守に利用する消耗品・交換部品などのサプライチェーンを寸断させない仕組みを求めるようになりました。
本連載の第10回では、IoTやAIを活用した強靭なサプライチェーンを構築する動きについて紹介しました。それは、コロナ禍のような非常事態下でもサプライチェーンを安定させるために、意思決定者が適切かつ迅速な判断を下せる情報をIoTやAIによって得ようというものでした。
ところが、そのような「情報の見える化」だけにとどまらず、AIに判断をさせ物資調達を行う「スマートサプライチェーン」を開発する動きが出てきています。この仕組みは、人の判断を介在させず、ICT(情報通信技術)システムを使って自律的に管理・調整するため、さらにサプライチェーンを強靭化できると期待されています。しかも、スマートサプライチェーンの効果は、非常時だけに発揮されるわけではありません。
今回は、そんな製造業の近未来の物資調達システムであるスマートサプライチェーンについて紹介します。
サプライチェーン・マネジメント(SCM)は、数ある製造業の業務の中でも、ひと際高度な知見と判断力が求められる業務だと言えます。その巧拙は、業績に直結します(図2)。
一般に、SCMでの管理対象は複数企業にまたがります。最適な物資調達を行うためには、関連企業それぞれの思惑や状況を調整しながら、多様なパラメーターを考慮し、最適な判断を下す必要があります。世界のSCMのアプローチに革新をもたらした「トヨタ生産方式(TPS)」を考案・実践し世界一の自動車メーカーに上り詰めたトヨタ自動車株式会社や、SCMで上げた多大な功績を背景にしてApple Inc.のCEOとなったティム・クック氏のように、その重要性の例証は枚挙に暇がありません。
スマートサプライチェーンは、このような人間の知性の発露の場であるSCMを、ICTによって完全自動化しようとするものです。言わば、経営の機械化に等しいのです。どうして、会社にとって重要で難解な作業を、自律化しようとしているのでしょうか。その背景には、近年多くの企業が取り組む、データを基にした経営、工場運営、生産管理が、目覚ましい効果を発揮していることがあります。人の判断に頼ると、どうしても時間がかかったり、主観が入ったりするものですが、サプライチェーン上の物資の動きや状態をデータで正確に把握することさえできれば、人の意思決定を挟まない方が迅速で合理的な管理と調整が可能になるというわけです。
ただし、スマートサプライチェーンを構築する際には、より多くのセカンドソースを確保できるように製品を設計しておくことが重要になります。状況に応じて調達先を柔軟に変更できることが、平時には効率化、非常時には強靭化につながります。また、サプライヤーの選択肢には、さまざまな非常事態の発生を想定し、地域や取引条件、物流手段などが異なる企業を選んでおく必要があります。スマートサプライチェーンにおいても、こうした準備は人手で進める必要があります。
ここからは、スマートサプライチェーンの構築に向けたキーテクノロジーを紹介します(図3)。
本連載の第10回で紹介したように、IoTを活用すれば、サプライチェーン上の物資の状態と動きをリアルタイムに可視化できます。さらに、AIを活用すれば、将来発生する可能性のある調達不足や輸送の停滞を予測し、未然に対処可能です。ただし、実際にサプライチェーン上で物資のやり取りをICTで自律化させるためには、受発注や納品、検収などの作業まで自動化する必要があります。
IoTで収集したデータをAIで解析し、その結果から、あらかじめ決めておいた条件に基づいて自動取引するプログラムを作っておけば、形式的には受発注作業などを自律化できます。しかし、それだけでは実際には使えません。ICTシステムには常にサイバー攻撃を受ける可能性があります。注文が正しいものであるという信頼性を担保し、トラブルが発生した際には、行われた取引の検証が可能な証拠を提示できる仕組みが欠かせません。こうした取引の信頼性と、信頼性を担保する仕組みとして利用される技術が、ブロックチェーンです。
暗号資産の基礎技術であるブロックチェーンは、本来コピーや改ざんが容易なデジタルデータの価値を、確実に担保するための技術です。ネット上で行われた取引をすべて記録した台帳を公開し、多くのICTシステムがその確かさをそれぞれ承認。どこかでコピーや改ざんが発生しても、残りの多くのICTシステムに証拠が残っているため、不正を発見できます。端的に言えば、大切なモノは公衆の面前に置いておけば、不正行為はしにくいというアプローチの技術です。
既にブロックチェーンをサプライチェーン上の自動取引に利用するためのシステム開発が進んでいます。例えば、株式会社デンソーは、物資の動きをQRコード®で管理し、そのデータの信頼性をブロックチェーンで担保する仕組みを開発しました。通常、ブロックチェーンはネットにつながった環境でないと適用できませんが、オフラインでも利用できる手段としてQRコード®を併用することで、通信機能を持たない物資の管理が可能になりました。
多様で、莫大な量の物資の動きを最適化する手段として、量子コンピューティングを活用する動きも加速しています。「量子」という専門用語の印象で、未来の縁遠い分野の技術だと考える人も多いことでしょう。しかし、実は、意外と身近な問題を解決するために利用されつつあるのです。
例えば、ファストフード店のアルバイトのシフトの最適化や、道路渋滞を解消するための自動車の最適誘導などが、典型的な応用先です。サプライチェーンの最適管理のように、さまざまな可能性がある中で最適解を選び出す作業は得意分野だといえます。このほかにも、製造業では、多品種生産ラインでの生産スケジュールの決定などへの応用も検討されています。
既にBMW AGが、自動車生産に向けた複雑なサプライチェーンを、状況に応じてリアルタイムで最適化するために、量子コンピューティングを活用する実証実験を始めています。これは、トヨタ生産方式において経験豊富な人が行っていた最適調達の判断を自動化する取り組みです。量子コンピューティングは、ICT企業から安価で扱いやすいクラウドサービスとして提供される方向で実用化に向かっています。資金力やICTの技術力を持つ大企業だけでなく、中小企業でも活用される時代がやってきそうです。
多様な工業製品を生産する、世界中のコングロマリット企業は、スマートサプライチェーンの構築とそこで利用する技術の開発に取り組み始めています。こうした巨大企業は、その効果が最も顕著に現れる業態だからです。ただし、製造業の中で、スマートサプライチェーンの構築が業務の強化につながらない業界・業種は皆無だと思われます。いち早く取り組むことができれば、確実に、将来の強みになることでしょう。
スマートサプライチェーンは、高度な知見と判断力が求められるサプライチェーン・マネジメントを、ICTによって自動化しようとするものです。構築するためにブロックチェーンや量子コンピューティングの活用も進んでいます。今後、大企業だけでなく中小企業でも取り組む時代がやってきそうです。
※QRコードは、株式会社デンソーウェーブの登録商標です。
2022年7月公開