技術コラムIoT・AIIoT・AIで変わる
「送る&運ぶ」

さまざまな産業において始まりつつある、IoT化、AI(人工知能)活用。
移送・搬送の現場への影響や技術トレンドについて、電子・機械系雑誌のジャーナリストであるエンライト代表:伊藤元昭氏がわかりやすく解説します。

第15回
メタバース上のバーチャルファクトリーで、多方面の専門家が密に協業

前回、製造業でメタバースを活用することによって、企業や部署の枠を超えた多くの人が仮想世界に集まり、知識背景や立場を超えた円滑なコミュニケーションができるようになることを紹介しました。多様な人材で構成されるチームでの共同作業において、より効果的で効率的な問題解決や価値創出に取り組むための環境として、メタバースの利用価値は極めて高いと言えます。

さらに、メタバースと、IoT/AI活用によって実現する技術「デジタルツイン」が融合することで、その効果とユースケースは飛躍的に拡大します。フィジカル=現実空間と、サイバー=仮想空間を相互的に作用させる仕組みで、生産効率や品質の向上、さらには市場の動きや突発的な非常事態へのタイムリーな対処が可能になります(図1)。

図1 メタバース内に工場の設備や製品のデジタルツインを構築
出典 Adobe Stock

今回は、パブリックな仮想世界であるメタバースと、デジタルツインが融合することによって、製造業にもたらされるメリット、さらにはその実践事例について解説します。


メタバースを活用して、製造ライン上の課題を迅速解決

メタバース内にデジタルツインを置いて関係者を一堂に集めれば、迅速に意思決定を行うことが可能になります。 現実世界の工場やプラントにある設備や装置を、デジタル空間上で忠実に再現したものが、「デジタルツイン」と呼ばれる再現モデルです。メタバース内にこのデジタルツインを置くことによって、さまざまな場所にいる人が共有できるようになります。そして、デジタルツインを参照しながら、装置や設備の活用や保全などに関わるさまざまな議論、試行錯誤、検討、意思決定を行うことが可能になります。

例えば、ある装置から収集したデータを反映させたデジタルツインを解析した結果、主要部品が故障する可能性があると判明した場合を想定してみましょう。ラインの停止時間を最小限に抑えるためには、故障する前に迅速かつ計画的に部品を交換する必要があります。こうしたケースでの、メタバースの活用シーンには以下のようなものがあります。

まず、メタバース上に社内外の関係者を集めます。この場合には、生産技術担当、生産スケジュールを管理する現場責任者、装置メーカーのエンジニア、交換部品サプライヤーの担当者などが招集されることになるでしょう。そして、装置を忠実に再現したデジタルツインを活用し、時を進めた状態をシミュレーションすることで、いかなる場所に、どのような故障が発生するのかを全員で確認します。関係者全員がこれから起きることを確認しておけば、その緊急性や重要性を実感して、適切な対処法の検討と実践に移ることができます。

次に、故障の発生予想時間までに部品の準備と交換作業ができるかどうかを、装置メーカーと交換部品サプライヤーの担当者が確認し、間に合えばその場で発注します。間に合いそうになければ、今度は生産技術担当と現場責任者が相談し、故障発生までの時間をどの程度延ばせるか、デジタルツインでシミュレーションして分析します。そして、操業の支障を最小限に抑えながら故障発生を延ばす条件を探り、その場で、ラインの稼働条件を変更します。

デジタルツインだけでも故障の予兆を察知し、事前にアラートを出すことは可能です。しかし、その後の対処に関わる人は意外と多く、検討や調整に手間取る可能性があります。メタバース内に関係者を一堂に集めて意思決定すれば、関係者それぞれのアクションをその場で迅速に確定でき、伝達ミスなどの発生も防止できます。

こうした予知保全での活用以外にも、生産品目の変更時に行う操業条件の調整、地震や火災などが発生した際の対処など、さまざまな場面で同様の仕組みを利用することが可能です。さらに、市場投入後の製品の利用状態を、メタバース上に置いた製品のデジタルツインを通じてユーザーと共有することで、より効果的な製品の利用方法をアドバイスするサービスなどが提供できるようになるでしょう。

早くも登場した先進的な活用事例

既に複数の企業が、製造ラインのデジタルツインをメタバース内に構築し、生産性の向上や非常事態発生時のレジリエンスを高める手段として活用しようとしています。

BMW AGでは、デジタルツインによる自動車工場のバーチャルファクトリーを構築しました。Siemens AGと共同で、NVIDIA Corp.のメタバース用オープン情報プラットフォーム「NVIDIA Omniverse Enterprise」を活用しています。(図2)。

図2 BMW AGのバーチャルファクトリーのデジタルツイン
出所 NVIDIA Corp.

同社で生産する車種を変更する際には、バーチャルファクトリー内で最適な組み立て手順を事前検証し、ライン上のロボットに最適化した作業手順や動作条件を設定しています。

これら一連の作業は、関係エンジニアが現場に集まらなくてもリモートですべて完結し、現場作業者の安全を確保しながら、生産性と品質を最大化できるそうです。また、工場のラインレイアウトの最適化などにも活用しており、メタバース上の工場でシミュレーションをすることで、ライン設計に必要なプロセスの30%削減に成功しています。

メタバース内に、工場や製造ラインを再現したバーチャルファクトリーを構築する動きも出てきています。 日本でも、川崎重工業株式会社が、Microsoft Corp.と共同で、工場全体をメタバース内でデジタルツイン化する取り組みを始めています。複数の拠点を対象に、遠隔地にいる専門家がリアルタイムで最適操業に向けたアドバイスをしたり、具体的な支援をリモートで行う仕組みの構築を目指しています。また、ダイキン工業株式会社も、同社の堺製作所臨海工場を対象にして、デジタルツインを搭載した新しい生産管理システムを開発しました。現場の製造装置や組立作業、ワークフローの状態を監視し、仮想空間上に再現。生産ラインの潜在的問題を事前に予測し、迅速に対応することを目的にしたものです。

こうした取り組みを支援するサービスの提供も始まっています。伊藤忠テクノソリューションズ株式会社は、メタバース空間を活用して工場や製造ラインを再現するサービスを開始しました。前述した「NVIDIA Omniverse Enterprise」を利用し、メタバース内にバーチャル生産ラインを構築するシステムを提供するサービスです。

工場の建設と同時に、メタバース上にもバーチャルファクトリーを構築する取り組みは、これからは当たり前になっていくことでしょう。製造ライン上に置く装置や設備、製品製造で用いる部品材料などのサプライヤーにも、ユーザー企業が構築するメタバース上のバーチャルファクトリーでの業務対応が求められる時代がやってきそうです。

まとめ

パブリックな仮想世界であるメタバースと、デジタルツインの要素技術であるIoT/AIを融合させ活用すれば、製造業にとって大きなメリットがあります。それどころか、バーチャルファクトリーの構築が当たり前になる時代がやってくるかもしれません。

2023年1月公開

PROFILE
伊藤 元昭氏
株式会社 エンライト 代表
技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、コンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動などを経て、2014年に独立して株式会社 エンライトを設立。

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