技術コラムIoT・AIIoT・AIで変わる
「送る&運ぶ」

さまざまな産業において始まりつつある、IoT化、AI(人工知能)活用。
移送・搬送の現場への影響や技術トレンドについて、電子・機械系雑誌のジャーナリストであるエンライト代表:伊藤元昭氏がわかりやすく解説します。

第14回 パブリックな仮想世界、メタバースは製造業に何をもたらすのか

最近、「メタバース」というバズワードを耳にする機会が増えました。

メタバースとは、超越している状態を示す「Meta」という言葉と、宇宙や世界という意味がある「Universe」を組み合わせて作られた造語です。学術用語ではないため、現時点では定義が明確ではありませんが、通信ネットワーク上にデジタル技術で作られた仮想空間のことを指しています。巨大IT企業の代名詞であるGAFAの一角を占める米国のフェイスブック社(Facebook, Inc.)が、Meta Platforms, Inc.に社名変更し、メタバースビジネスを強化していく構想を打ち出したことから、一躍世界中で広く知られる言葉になりました(図1)。

図1 新たなコミュニケーションツール、メタバース
出典 Adobe Stock

マスメディアなどでは、メタバースを利用した応用例として、一般消費者に馴染み深いオンラインゲームやバーチャルイベント、買い物サイトなどが紹介されています。ゲームの世界でネットの向こう側にいる顔も名前も知らない誰かと協力しながらモンスターを倒したり、異世界を仲間と訪れてワクワクするような体験を共有したりできるというものです。

こうした説明を聞くと、メタバースは、エンターテインメント用のテクノロジーであるかのように感じる人が多いかもしれません。しかし実は、製造業でもメタバースを活用することでさまざまなメリットが生まれる可能性があります。特に、デジタル技術の活用によって業務の効率化や新ビジネスの創出を目指すデジタルトランスフォーメーション(DX)の実践を目指す企業にとっては、メタバースは競争力強化に不可欠な武器となることでしょう。

今回は、そんなメタバースの製造業での活用について解説します。


製造業でこそ活用したい新たなコミュニケーションツール

メタバースでは、3Dコンピューターグラフィックス技術を活用して、現実世界を忠実に再現した仮想世界、あるいは全く架空の設定で作られた世界を作り出すことができます。これまでにも、仮想世界を利用したゲームや買い物サイトはありましたが、メタバースには1つの大きな違いがあります。それは、同じ仮想世界をパブリック(公的な)空間として多くの人が共有できる点です。現実世界ではできない人と人のつながりを生み出し、新しい価値を持つ社会活動や経済活動、創作活動を行う、近未来のコミュニケーションツールがメタバースなのです。

製造業には、多くの人が集まり、チームを組んで協力しながら進める業務がたくさんあります。現実世界ではできない人と人のつながりを生み出し、新しい価値を持つ社会活動や経済活動、創作活動を行う、近未来のコミュニケーションツールがメタバースです。

例えば、自動車の開発では、機械、材料、システム制御、電子回路、ソフトウェア、さらには生産技術、品質管理など、多様な知見と技術を集約し、それぞれの技術を擦り合わせながら、魅力的で安全なクルマを作っています。ただし、こうした多様な知見を一人のエンジニアがすべてカバーすることはできません。このため、1車種を開発するのに、数百人単位の膨大な数のエンジニアがチームを組んで取り組むことになります。

自動車に限らず、現代の工業製品の多くは、規模の差こそあれチームでの開発が行われています。同様に、生産、物流、営業、アフターサービスなどの現場でも、多様な知見を持つ人が集まり、チームを組んで業務を遂行しています。

こうした、業務のコミュニケーションに関わる問題を解決するための手段として期待されているのがメタバースの活用です。メタバースならば、まだ現実には存在しない設計中の製品や、工場に置く製造装置、さらには顧客が使用中の製品などを、仮想世界に誰の目にも状態や動きがわかりやすい3Dデジタルモデルで用意できます。それを関係者が囲んで、コミュニケーションしながら、現実世界では試せない条件での試験運用、レビュー、課題と解決策の洗い出しなどができます。しかも、こうした共同作業に参加する関係者が遠く離れた場所にいたとしても、目の前にいる人と議論しているかのような密なコミュニケーションを交わすことができます(図2)。

図2 3Dモックアップをチームで共有して円滑に共同作業
出典 Adobe Stock

オープン・イノベーションとメタバースの活用環境

さらに近年では、自社内の人材だけではなく、社外の人材と共同で仕事する場面が増えてきました。開発・製造する製品の複雑化・高度化に対応するため、少子高齢化による人材不足を補うため、社内にはない知見を生かした新ビジネスに取り組むため、共に業務に取り組む人材はこれまでにも増して多様化させる必要が出てきているのです。

効果的かつ効率的に業務を遂行するためには、チームメンバー間でのコミュニケーションの質と量を高めることが極めて重要になります。一般に、異質な知識を融合させて、新たな発想を取り入れた業務を行った方が、効果的で効率的な成果が得られやすい傾向があります。そこで、意図的かつ積極的に組織の枠を超えた技術やアイデアの融合を図る「オープン・イノベーション」と呼ばれる開発手法が行われるようになりました。新たな発想のヒントを他分野の専門家や価値観の異なる他社などに求めることで、従来開発の延長線上では望めないような飛躍的成果を生み出す開発手法です。

企業や部門の枠を超えて十分なコミュニケーションを取ることは簡単ではありません。専門分野など知識背景や企業文化に起因する価値観、さらには役職・役割の異なる多様な人材が集まって仕事をする際には、特にコミュニケーションが難しくなります。しかしこのような場面でも、メタバースの活用で、円滑な共同作業が実現できます。

また、これまで、デジタル情報を基にして企業の枠を超えた共同作業を行う場合、情報の漏えいや不正コピー、改ざんなどのリスクや、共同作業の結果生み出された成果物の所有権の所在の不明確さなどが問題視されてきました。しかし近年では、「非代替性トークン(Non-fungible token、NFT)」と呼ばれる、ブロックチェーン技術を活用してデータに唯一無二の価値や扱いの履歴を担保する技術が発展し、メタバース内で、デジタル情報を安全に扱えるようになってきました。加えて、仮想現実(VR)や拡張現実(AR)など、業務に携わる人がデジタルデータを円滑かつ上手に扱えるようにするための技術や、5Gなど情報通信分野の発展もメタバース活用の追い風となっています。


メタバース内で実践するオープン・イノベーション

製造業では、あらゆる分野の開発でメタバースが仕事場の中心になる時代がやってくることでしょう。メタバースを活用して、オープン・イノベーションを実践できる環境を整えようとする企業が既に出てきています。例えば、トヨタ自動車株式会社は、日本マイクロソフト株式会社と共同で、3D設計データを基にしたデジタルモックアップをメタバース内に置き、遠隔地にいる複数のエンジニアがこれを共有しながらさまざまな作業ができる環境を整えています。メタバースに入る際にはヘッドマウントディスプレイ(HMD)を装着。参加者一人ひとりの動きをセンサーで検知して、それぞれの視野の動きに連動させた3D映像をHMDに表示することで、モックアップの細部を関係者それぞれの視点から確認できます。

同様の仕組みは、クルマの修理・メンテナンス作業への利用も検討されているようです。ボンネットを開けたクルマの内部の映像に、修理対象となる電気配線の配線図をデジタルデータで重ねて表示することで、これまでわかりにくかった部品やコネクターの配置を直感的に理解可能にし、加えて配線に関する技術情報を一括表示することもできます。さらに、作業者の視線を検知して、適切な作業の手順を音声で指示し、作業を支援できるようにもしています。

製造業においては、自動車や電子機器を作る組み立て産業から、食品や化学品、半導体などプロセス産業まで、あらゆる分野の開発でメタバースが仕事場の中心になる時代が確実にやってくることでしょう。小売りや物流、金融、エネルギー、広告・宣伝など、他業界のサービス開発も同様です。メタバースの活用によって、現実世界ではできなかったどのような業務の効率化や、ビジネスの価値向上が可能になるのか。今から検討してみてはいかがでしょうか。

まとめ

3Dコンピューターグラフィックス技術を活用して、仮想世界を多くの人と共有できるメタバース。チームを組み、協力しながら進める業務がたくさんある製造業では、メタバースの活用によって、現実世界ではできなかった効率化やビジネスの価値向上が可能となることでしょう。

2022年11月公開

PROFILE
伊藤 元昭氏
株式会社 エンライト 代表
技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、コンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動などを経て、2014年に独立して株式会社 エンライトを設立。

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